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 我が帝京大学医学部も多くの卒業生を輩出し、その数も有に2500名を超えようとしています。地元に戻り地域医療に邁進し、医師会の重鎮として活躍されている先生方や、大病院の院長として手腕を発揮されている先生方、また研究施設や大学に残って研究や後輩の指導に頑張っておられる先生方など、いろいろな方面で多くの卒業生が全国いたる所で活躍されています。それは他の新設医大の卒業生と比べてみても、決してひけをとるものではありません。むしろ臨床面ではより優れた実績をあげております。しかし、他の新設私立医大に比べて一つだけ劣るものがあるとするならば、それは我が帝京大学医学部にはお世辞にも胸をはって自慢できるだけの同窓会が存在してなかったことです。
 実は、先輩方の御努力で帝京大学医学部の同窓会は、昭和57年に初代北野善昭会長(一期生)のもと立ち上がり、平成元年には会員名簿が作成され、その後の活動が期待されましたが、帝京大学医学部との軋轢などがあり、この十年間は全く活動が為されておらず、いつのまにか忘れ去られていました。さらに最近の卒業生や医学部生は、母校には同窓会が存在しないものだといった共通の認識を持つにいたり、悲しいかぎりでした。
 一方、一所懸命に勉強をし仕事をしてきた帝京大学医学部の創設期の卒業生たちも、少しずつ余裕が持てるようになると、各地域で帝京大学医学部出身者の集まりを催すようになり、期せずして同窓会をもう一度立ち上げ、形のあるものにしようとの気運が高まり、取りあえず東京、神奈川、埼玉そして千葉の帝京医会の代表者が集まり、多くの賛同を得て眠っていた同窓会を呼び起こしました。そして、東京帝京医会の代表であった私が、大学にまだ残っていた関係で、初代北野善昭会長の後を引き継ぎ、帝京大学医学部同窓会を再興し発展させる大役を仰せつかりました。微力ではありますが、幸いにも志を共にする仲間とともに頑張っていきたいと思いますので、御指導、御鞭撻よろしくお願いいたします。
 まず現執行部の最初の仕事として、昨年4月冲永壮一前総長と話をさせていただく機会を得、出来うる限りバックアップするとのお約束を頂き、また冲永佳史現理事長からも大学もこれから積極的に参加したいとのお言葉を頂きました。同窓会の仕事として、卒業生相互の連絡と親睦を計るべく年一度の総会を開催し、会員相互の学術研鑽に貢献したり、また我々の母校であります帝京大学医学部の発展に寄与したり、さらには会員名簿の作成など多くの課題がありますが、とにかく卒業生のオアシス的な存在になればと思っています。
 そして、同窓会の大きな仕事の一つとして、ここに待ちに待った同窓会誌の創刊号を会員の皆様にやっとお届けすることが出来たことを、本当に嬉しく思います。現執行部が発足当時より最初の目標にしていた創刊号の発行まで、約一年かかりましたが、まさに汗と忍耐の賜物で、いろいろ御協力していただいた方々に心より感謝したいと思います。今まで悔しい思いをしてきましたが、これでやっと既存の私立医大や新設医大の同窓会に少しでも近ずくことが出来たと自負しております。今後年に一度の同窓会誌の発行を是非に続けていきたいと思っています。この同窓会誌はあくまで我々帝京大学医学部の卒業生のためのものですから、どんなことでも結構ですので、是非どんどん会誌に参加して頂いてよりすばらしい同窓会誌が出来上がることを願う次第です。
 昨年の11月に医学部の先生方にも参加して頂き、久し振りに京王プラザホテルで同窓会の総会を開催することができ、盛会のうちに成功裡に幕を閉じました。今回同窓会を再興するに際し各卒業生の反応は様々で、何を今さらと冷めた反応を示す多くの卒業生もおられました。確かに帝京大学医学部は皆様方も御存知のように、我々卒業生には決して暖かいものではありませんでした。しかし昨今マスコミを賑わすことが多くなり、我々が医者として一歩を踏み出した母校の危機感を抱くに連れ、母校に少しは愛着を持っている卒業生のためにも、今帝京大学病院に残って頑張って仕事をしている卒業生のためにも、そしてこれから立派な医者になろうと勉学に励んでいる在校生のためにも、帝京大学医学部同窓会の存在の必要性が強く望まれるのではないでしょうか。
 今まで方向性を失って港に弱く繋がれていた「帝京大学医学部同窓会丸」という船が、やっと燃料を満タンにして港から離れて沖に向かって進路をとろうとしています。この進路が正しい方向に向かい、決してまた港に戻ることなく大海に出て、嵐がきても沈没しないように優々と航海できるように、執行部一同頑張っていきたいと思います。とにかく継続させることが大切です。どうかこれからも我々の帝京大学医学部同窓会発展のために、少しでも力をかして頂ければ幸いです。

2003年6月吉日 帝京大学医学部同窓会会長 合地研吾